ゴキブリのような生き物でさえ、ある限界を超えた密度で飼育すると、異常行動をとることが知られている。ザリガニでも金魚でも同じだ。過密飼育をすると共食いやいじめ(←群れを作る生き物を閉鎖環境に置くとほぼ必ず特定の一匹を攻撃するようになる)を始め、時にはオス同士で交尾を試みるようになる。つまり、「狂う」わけだ。
満員電車の中のわれわれは、狂わずにいるために、一人一人が自らにあるフィクションを課している。
つまり、われわれは、「オレらは人間じゃない」という前提で、あの苦行に耐えているのだ。
「私は荷物だ」
「ボクはひとつの砂袋だ」
「オレは運ばれている。オレは何も感じないし何も思わない。なぜならオレは産業戦士だから」
つまりわれら乗客は、心頭を滅却して、自らを一個の荷物ないしは砂袋と化すことによって、ようやくあの過酷な状況に耐えているのである。
それゆえ、満員電車のマナーは、一種独特な水準に到達する。
どういうことなのかというと、あそこでは「人間らしくあること」が、マナー違反になるのだ。
たとえば、ヘッドフォンの音漏れが敵視されるのは、あれはうるさいからではない。
音量について言うなら、電車の走行音と比べてみればわかる通り、ごく些細なノイズに過ぎない。
問題は、音楽を聴いている人間が「ゴキゲン」である点にある。みんなが我慢しているのに、一人だけノリノリであることが許せない、と、そういうことなのだ。